机には問題集を開いている。シャープペンも持った。それなのに、気づくと三十分、同じページを眺めていた。
そんな夜が、私には何度もあります。
「やる気がない」のではなく、「始められない」
勉強できない自分を責めるとき、私はいつも「やる気がないからだ」と決めつけていました。けれど、よく思い返してみると少し違います。
やる気がないわけではありません。むしろ「やらなきゃ」という気持ちは、人一倍あるのです。足りないのは、その一歩目を踏み出す力でした。
机に座る。ノートを開く。最初の一行を書く。たったそれだけのことなのに、この三つがやたらと重い。重いから、スマホを手に取る。ちょっとだけのつもりが、気づけば一時間。そして夜になって、また自分を責める。
このループの中にいるとき、私は「自分はダメな人間だ」と思っていました。でも本当は、ただ「始めるのが苦手な人」だっただけなのかもしれません。
責めるほど、勉強から遠ざかっていた
不思議なもので、自分を責めれば責めるほど、勉強は遠くなっていきました。
「また今日もできなかった」という気持ちが積み重なると、机に向かうこと自体が嫌な記憶と結びついてしまいます。ノートを見るだけで、胸のあたりがきゅっとなる。そうなると、ますます避けたくなる。
勉強できない自分を責める時間は、実は一番勉強から遠ざかる時間でした。反省しているつもりで、ただ落ち込んでいただけだったのです。
向き合うとは、責めずに眺めること
そこで、ある日から少しだけやり方を変えてみました。
「向き合う」というのは、自分を問い詰めることではない。そう思うようにしたのです。
- 今日は何分、机に座れたか
- どの時間帯なら、まだ少し頭が動くか
- どんなときに、スマホへ手が伸びてしまうか
これを、責めずにただ眺める。「へえ、私は夜の十時を過ぎるともうダメなんだな」「疲れた日は、教科書を開くだけで精一杯なんだな」。まるで他人の観察日記をつけるような気持ちです。
すると、不思議と少しだけ楽になりました。自分の「できない」には、ちゃんと理由があると分かってきたからです。
小さすぎる目標が、いちばん効いた
観察していくうちに、ひとつ気づいたことがあります。
私の目標は、いつも大きすぎました。「今日は二時間やる」「一章まるごと終わらせる」。こんな目標を立てた日は、たいてい一行も進みません。大きすぎて、最初の一歩が見えなくなるからです。
だから、思い切って小さくしました。
「今日は、問題を一問だけ解く」
笑ってしまうくらい小さな目標です。でも、一問解けたら、もう一問くらいはできる日もあります。できない日は、本当に一問だけで終わります。それでも「ゼロ」ではなく「一」の日になる。
この「ゼロじゃない」という感覚が、じわじわと自信になっていきました。
できない日があっても、いなくならなくていい
もちろん、今でも勉強できない日はあります。机に向かう気力が、どうしても湧かない日もあります。
そんな日は、無理に自分を奮い立たせるのをやめました。かわりに、温かい飲み物を淹れて、教科書の表紙だけ眺めて、早めに寝る。それも、勉強できない自分と向き合う時間のひとつだと思っています。
勉強できない日があっても、それは「勉強から逃げた日」ではなく、「次に進むために休んだ日」かもしれません。そう思えるようになってから、ノートに戻ってくるのが少し怖くなくなりました。
おわりに
勉強できない自分は、きっと、あなたが思うほどダメな存在ではありません。
始めるのが少し苦手で、少し疲れていて、少し頑張りすぎているだけ。そんな自分を責める時間を、ほんの少しだけ、観察する時間に変えてみる。それだけで、机に向かう気持ちは、案外やわらかくなるものです。
今日できなかったことより、今日ここまで考えたことを、ちょっとだけ認めてあげましょう。それもきっと、立派な一歩です。
ここまで読んで頂き、ありがとうございます
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