2026年10月22日木曜日

もしも昨日の自分が、今日の勉強を手伝いに来てくれたら

 ふと思ったんです。

もしも昨日の自分が、ドアをノックして「今日の勉強、手伝いに来たで」と入ってきたら、どうなるんだろうと。

昨日の自分は、意外と優秀かもしれない

昨日の自分というのは、今日の自分から見ると、ちょっと気の毒な存在です。

「明日やろう」と言われて、仕事を全部押しつけられている側だからです。

でも、もし本人が手伝いに来てくれたら、きっとこう言うはずです。

「いや、昨日の時点でここまで進めといたら、今日ラクやったのにな」

……耳が痛い。

ただ、昨日の自分は責めに来たわけではなく、手伝いに来てくれた人です。たぶん、そのあたりは優しいはずです。

まず、机の上を一緒に見てもらう

手伝いに来てくれた昨日の自分は、きっと最初に机の上を見ます。

開きっぱなしの参考書。
ページの端に挟まった付箋。
どこまで読んだのか分からなくなったノート。

そこで一言、「ここまでやってたんやな」と言ってくれたら、ちょっと救われる気がします。

勉強が進まない日は、「できていないこと」ばかり目に入ります。でも、昨日の自分の目線で見ると、「ここまでは確かにやった」という跡が机の上に残っているんですよね。

昨日の自分にしか分からないことがある

昨日の自分が手伝いに来てくれて、いちばんありがたいのは、たぶんここです。

「あの時、なんでこの問題に印をつけたのか」
「このメモは何を伝えたかったのか」
「どこでつまずいて、どこで諦めたのか」

今日の自分には、実はもう分からなくなっていることが多いんです。

昨日の自分は、その答えを全部知っています。「あ、これな、ここが分からんかっただけやで」と、サラッと教えてくれる。これほど心強い家庭教師はいません。

でも、本当は来てくれている

ここまで書いて、気づいたことがあります。

昨日の自分は、実は毎日、手伝いに来てくれているんですよね。

ノートの書き込みとして。
ページの折り目として。
「ここ大事」と引いた線として。

昨日の自分は、姿は見せないけれど、今日の自分のために、ちゃんと道具を置いていってくれています。

私たちがそれに気づいていないだけで、勉強机の上は、いつも昨日の自分からの差し入れでいっぱいなのかもしれません。

今日の自分も、明日の誰かを手伝える

そう考えると、今日の勉強にも、少し意味が出てきます。

今日書いたノートは、明日の自分への手紙です。
今日つけた印は、明日の自分への道しるべです。
今日たった5分でも進めておけば、それは明日の自分にとって、いちばんの助っ人になります。

昨日の自分に「ありがとう」と言いたくなったら、今度は自分が、明日の自分に「手伝いに来たで」と言えるようになればいいんです。

おわりに

もしも昨日の自分が、今日の勉強を手伝いに来てくれたら。

きっと、何も言わずに隣に座って、ノートを指さしてくれる気がします。

それなら今日の自分も、ちょっとだけ頑張って、明日の自分のために一行だけ書き残しておこうかな。

そんなふうに思えた夜でした。


ここまで読んで頂き、ありがとうございます

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