勉強しているとき、
一番こわいのは、
まったくわからないことではないのかもしれません。
本当に危ないのは、
「なんとなくわかった」
「たぶん大丈夫」
と思っている状態です。
わからないところは、
自分でも気づきやすいです。
問題を見ても手が止まる。
説明を読んでも意味が入ってこない。
答えを見ても、なぜそうなるのかわからない。
そういうときは、
「ああ、ここは勉強しないといけないな」
と素直に思えます。
でも、わかったつもりは少し違います。
説明を聞いたときは、
なんとなく理解できた気がする。
教科書を読んだときも、
「ああ、そういうことか」
と思える。
けれど、いざ自分で問題を解こうとすると、
手が止まってしまう。
人に説明しようとすると、
言葉が出てこない。
少し形を変えた問題が出ると、
急にわからなくなる。
そのとき初めて、
自分は理解したのではなく、
理解した気になっていただけだったと気づきます。
勉強で大事なのは、
「読んだかどうか」ではなく、
「使えるかどうか」なのだと思います。
読むだけなら、
意外と前に進んだ気になります。
ノートをきれいにまとめるだけでも、
勉強した気分になります。
動画を見ていると、
先生がわかりやすく説明してくれるので、
自分までできるようになった気がします。
でも、そこで終わると、
知識はまだ自分のものになっていません。
本当にわかっているかどうかは、
自分の手を動かしたときに出ます。
問題を解いてみる。
何も見ずに説明してみる。
別の例に置き換えて考えてみる。
そうすると、
わかったつもりだった部分が、
静かに顔を出してきます。
「あれ、ここが言えない」
「なぜこうなるのか説明できない」
「似た問題なのに解けない」
その気づきは、
少し悔しいものです。
でも、そこからが本当の勉強なのだと思います。
わかったつもりに気づけたということは、
まだ伸びる場所を見つけたということです。
間違えたところ。
説明できなかったところ。
あいまいにしていたところ。
そこを一つずつ確認していけば、
理解は少しずつ深くなっていきます。
勉強は、
わからない自分を責めることではありません。
わかったつもりの自分に気づいて、
そこをもう一度、
ていねいに見直していくことなのだと思います。
「わかった」と思ったあとに、
もう一回だけ確かめてみる。
それだけで、
勉強の深さは少し変わります。
わかったつもりは、
たしかに危ないです。
でも、それに気づけたなら、
そこはもう危ない場所ではなく、
次に伸びるための入り口になります。
ここまで読んでくれて、ありがとうございます
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